作品集の営業と企画展の搬出を兼ねてAMPに行こうと思い立ち、ついでに佐賀迄足を伸ばしてJ野君が絡んでいる町おこしアートイベント「呉服町万博」を観て更にCiEMAにも営業に行こう、ということで佐賀へ向かう。
しかしその前に、作品集を宣伝するチラシも作らなきゃね、という事で前夜に突貫工事でチラシのデザインを行い、翌20日土曜日夕方にキンコーズヘ行きセルフで出力準備。原稿を2枚配置したファイルをB5横で50枚で良いかなとプリンタ設定をしてたら「最初に1枚試し刷りをして、問題が無いか確かめてから任意の枚数を出力して下さい」との但し書きが目に飛び込み、そりゃそうだねと枚数を1枚に設定し直してから出力ボタンを押したらプリンターから「ブーガシャン、ブーガシャン、ブーガシャン...」と連続音が...。あれよあれよと言う間に50枚の印刷物が出来上がる。特に問題は無かったので良しとする。それにしてもキンコーズのプリント用紙って超うすーい。薄々だよー。
プリントをカットした後、レジで精算しカゴの中の飴玉をかっさらい、IAFヘ行きチラシと見本の作品集を設置し、ほっともっとで10分程待たされた後晩飯を食し、一息ついた後博多駅へ行き、佐賀往きの切符を買い鈍行列車へ乗り込む。
鈍行は良い。しかし鳥栖で乗り換えなきゃならんのが面倒臭い。しかも寒空の下30分も待たされる。佐賀駅に着いたのは深夜零時だった。
徒歩で実家まで行く。実家では犬が三匹飼われているのだが、そのうちの真ん中の娘が徘徊老人の如く家内を迂路迂路迂路迂路歩き回り続けていた。外見は以前からゾンビの様になっていたのだが、いよいよ末期である。余りにも可哀想なので写真は割愛する。
実家へは年に1、2回しか帰らない所為か、帰る度に家も家具も両親も犬共も古惚けて行っている様に見える。否実際そうなんだろうけど。
今回初めて、一体後どれくらいこのままで居られるのであろうかと思った。
そんな実家で唯一若々しいのは末っ子の光彦くらいなもので。
口の周りが汚れていて臭い。あと仏間のTVが地デジ対応の薄い奴に変わっていた。古惚けた部屋の中でとても不釣り合いだった。
翌日昼前に起床して母が作った食事を摂る。スパゲッティにトーストという奇妙な取り合わせ。更に「野菜不足だろうからしっかり食べて行きなさい」と薩摩芋が大量に入った味噌汁が出される。
パン、麺、芋...炭水化物ばっかりやん。
食後暫く犬共と遊んだ後実家を後にし徒歩で呉服町へ向かう。J野君と落ち合い、適当に会場を案内してもらう。時間の都合で全ての作品は観なかったけれど、観た中ではVAROCの作品群が良く出来ていた。ライティングが絶妙。
しかし正直な所、呉服町万博のどの作品よりも僕は、ストリップ劇場DXさがの看板絵の方が遥かに素晴らしいと思う。何て事をJ野君に言ったらそれ知らないと言うので案内する。会場エリア内に在るのに気付かんのか。
看板絵はJ野君にも割と受けていた。
しかし悲しいかな、開発の魔の手が目前迄迫って来ているのであった。この様子だと無くなるのも時間の問題かと。せめて看板だけでも何処かで保管出来ないものだろうかね。誰か助けて!><
CiEMAヘ行き、J野君と珈琲を飲みつつ、とある事柄についてネガティブな会話を交わし、スタッフの人に作品集の営業をした後佐賀駅へ向かう。途中もう何軒かに立寄り作品鑑賞をする。
吉野ケ里公園駅に到着。正面口でタクシーを拾い、AMP迄と言ったらそれ知らないと言うので「取り敢えず駅裏の道を真っ直ぐ...」と告げると何故か駅から大分離れた路を走り出す。吉野ケ里公園が右手に見える。前回来た時は左手だった様な。変だなあと思いつつ暫くタクシーに揺られる。
運転手さんが無線で本部に問合せ。本部のジジイも知らんと言う。携帯でAMPに問い合わせて住所を教えてもらう。
AMP「松隈1257-1です。」→僕「松隈1257-1です。」→運転手「松隈1257-1だそうです。」→ジジイ「松隈7257-1? 無いなあ。」
どーでも良くなって来た。
運転手さんに直接AMPに掛け合ってもらい、どうにか現地に到着。瀬下さんからブツを受け取り、こちらからは作品集のサンプルを渡す。受け取ったブツの中にはCOVERS COVERSの図録が4冊もオマケで付いてきた。更にカレーとコーヒー迄ごちそうになってしまった。ありがたや。
因みに現在AMPでは瀬下さんの父親の回顧展が行われている。個人的には油絵よりもエッセイの挿絵が面白いと思った。
暫し談話した後、車で駅迄送ってもらい、鈍行で福岡へ帰る。博多から地下鉄に乗り換え、先日キンコーズでゲットした飴を舐めながら家路に着く。
後日談:
ブログを書くにあたってネットで調べた所、どうも僕が下車した駅は吉野ケ里公園駅ではなく神崎駅だった可能性が濃厚な様で...。そうすると色々と辻褄が合う事ばかりで。
いよいよ末期である。