サミュエル・ジョンソン氏が怒っている様です。

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アメリカの女流作家、リディア・デイヴィスの短編集を読んだ。


私は普段、本をあまり読まないが、年末に実家へ帰省するときはいつも暇潰し用に一冊買っていく。実家はインターネットの出来る環境が無いし、私自身いまだにスマホもタブレットも持っていないしテレビも観ないのでやることが無いのだ。還暦を過ぎた両親はすっかり老け込み、ラジオのかかったダイニングで二人して老眼鏡をかけて読書に耽っている。その中に加わって三人で黙々と読書会に興じるのもなんだか湿っぽいので、私は専ら二階の自室で頁をめくっていた。

実家は去年、所々リフォームし、そのついでに母は念願の自分用の書棚を手に入れた。ダイニングの隣の部屋に在る重厚なそれを母は嬉しそうに見せてくれたのだが、トイレの躾がなっていないマルチーズの為に床の半分近くが染みだらけの新聞紙で覆われているその部屋の中では、今いち教養であるとか品格といったものは感じさせてはくれないのであった。そのマルチーズも中年になって、かつては先輩犬(他界済み)をいじめたり暴れ回っていた頃に比べると大人しくなり、今や家の中で一番うるさいのはラジオ放送になってしまった。そのラジオからは、年末年始だというのに「我が国は過去の過ちについてこれからも償い続けていかなければならない」だの「首相は馬鹿でファシスト(意訳)」だのといった演説が垂れ流され、夕食の時間になってもその演説は鳴り止まず、リモコンを手に取りチャンネルを変えてみたが、どの局も大して変わらなかったので電源を切った。

“歳をとったら、きっと独りぼっちであちこち痛く、目が悪くて本も読めなくなっていることだろう。その長い日々が今から心配だ。どうしたらそのつらい日々を過ごせるだろうかと考える。ラジオがあれば日々を埋めるにはじゅうぶんなのかもしれない。歳をとった人間というのはラジオを持っているものだと聞いたことがある。また歳とった人間はラジオに加えて、楽しい思い出を反芻して、それで慰めを得るのだ。
「楽しい思い出」”

今作は前短編集「ほとんど記憶の無い女」に比べて洗練さに磨きがかかり、ユーモアのセンスも増している。上司に企画を蹴られた女が妄想を膨らませる「面談」や、意思の疎通が上手くいかない夫婦を描いた「<古女房>と<仏頂面>」にはクスッとさせられる。一方で洗練されたことにより、前作にあった「ネタ帳に書き留めた断片をそのまま掲載した様な気持ち悪さ」は少し薄まっている。それが割と好きだった私は少し残念に思う。

それから今作には「老い」をテーマにした話が複数見受けられる。特に印象に残ったのは元教員の父について書かれた「ボイラー」で、日に日に身体も思考も衰えていく父の書いた少し奇妙な手紙は、読んでいると何とも言えない悲しい気持ちになる。

一番のお気に入りは、ドライブ中の割とどうでもいい出来事を克明に描いた「私たちの旅」。一番共感できたのは「お金」。その他、たった一行の掌編やQ & AのAの部分しか記述がない短編など、表現方法も多彩な全部で56編の作品が納められている。訳者は引き続き岸本 佐知子。


サミュエル・ジョンソンが怒っている
リディア・デイヴィス(著)
岸本 佐知子(訳)
作品社
¥2,052